
——ジョイア代表・井上勇が語る
ジョイア代表であり、ナポリピッツァ職人協会が認定したマエストロの称号も持つピッツァイオーロの井上勇が、イタリアンとの出会いからピッツァ作りの面白さ、今後挑戦したい大きな夢まで語る。
井上がイタリアンと出会ったのは、19歳の頃、日本のナポリピッツァの草分け的存在である中目黒の名店「サルヴァトーレ」で皿洗いとして働きはじめたときのことだ。

井上:それまでは、イタリア料理をほとんど食べたことなかったんですよ。今でこそ有名なイタリアンレストランのチェーンはいくつもありますが、当時はまだそれほど一般的ではなくて。働き出してすぐ、サルヴァトーレさんが作ってくれたまかないを食べたとき……「うわ、何これ。美味しい!」って。最初に食べたのは、ポルチーニクリームソースのフェットチーネ。今でも覚えています。「こんな美味しい食べ物がこの世にあるんだ」ってすごく驚きましたから。
スタートは皿洗いでしたが、少しずついろんな仕事をやらせてもらえるようになって。意識していたわけじゃないですが、同僚がどんなタイプかを見極めるのがわりと得意だったんです。「彼は目立つわけじゃないけどしっかりコツコツ努力する人だ」とか「この人は歳上だけど、気さくにコミュニケーションしても受け入れてくれるタイプだろう」とか。なんとなくキッチンの中でもムードメーカーのような存在になり、それをサルヴァトーレさんも評価してくださったんだと思います。
それまで料理にまったく関心がなかったぶん、だんだんと仕込みから完成までの過程を学ぶうちに、「あの美味しいものはこうやってできるのか」ってわかっていくのがものすごく面白くて。まかないなどを作らせてもらうと、失敗することもあれば、上手くいくこともあって、上手くいったときはみんなが褒めてくれる。「美味しい」と笑ってくれる。それが嬉しくて、楽しくて、どんどんこの世界にのめり込んでいきました。
現在は三軒茶屋の「ラルテ」、中目黒の「イル・ルポーネ」の2店舗を経営する井上。その基礎を支えるのは恩師・サルヴァトーレ氏からの学びだ。

井上:「昨日と同じことをするな」ということはすごく言われましたね。伝統を大切にすることと、変わろうとしないことは違う。もっと美味しくするにはどうしたらいいか、考え抜いたうえであえて変えないのはいいけれど、何も考えずにただずっと同じものを作っていては、すぐに他の料理人に抜かれると。
例えばナポリピッツァ一つとっても、改良された新しい小麦粉が次々出てくるんですよ。すると、やっぱり試したくなる。どういう特徴があって、香りはどうなのか、どのくらい加水できるのか……いろいろ手を動かして試してみて、結局自分の理想とは違うなってときももちろんたくさんあるけど、その過程も全部楽しい。だから、独立してからもう20年になりますが、開店当時作っていたものと今とではだいぶ違うものを出していると思います。
毎日ピッツァを焼きますが、同じものは二度と作れません。自分の中に、「こういう焼き上がり、見た目、食感にしたい」っていう「理想のピッツァ」の姿があって、毎回それを目指して焼くんですけど、すべてを思い描いたとおりに仕上げるのは本当に難しいんです。「完璧」と言えるのは、1週間に1枚あるかないかくらいかな。自分だけがわかるほんの些細な違いですが、それを追求していると飽きない。焼き上がって釜からパーラーで出した瞬間、手のひらにかかる重みの感触で「これは」と思えたときは、何にも代え難い達成感を感じますね。
本場イタリアのナポリでも修行した井上が、2004年、自分なりのナポリ料理をやりたいと作った店が「イル・ルポーネ」。当時の日本には少なかった、パスタや前菜などの料理にもこだわるピッツェリアだ。店の雰囲気作りには、25歳で行ったナポリ修行時代に現地の店で感じた「イタリアらしさ」が活きている。

井上:今はインターネットがあるので、店の情報も簡単に探すことができますが、当時は日本から持って行った『地球の歩き方』とか、向こうで買ったイタリア語のレストランガイドを片手に自分の足でまわるしかなくて。だからようやく美味しい店を見つけたときはすごく嬉しかったですね。
印象に残っているのは、「レストラン」という場に対する考え方が日本とは違うなと思うことがけっこうあって。スパゲティの盛り方一つとっても、ちょっと雑だったり。ピッツァがちょっと焦げてたり。でも、お客さんは文句を言うこともなく笑顔で食事を楽しんでいて、不思議なおおらかさを感じました。
イタリアのレストランは、価格帯やスタイルによって「リストランテ」や「トラットリア」などいくつかの種類がありますが、僕の店は2店舗とも「トラットリア・ピッツェリア」を謳っています。
イタリアの「トラットリア」は、ワイワイガヤガヤ、BGMもいらないくらい、常に店内に声が響いている。もともとイタリアは、電車の中やスーパー、バス停、街中の至るところでおしゃべりが絶えず、知らない人にも話しかけちゃうような雰囲気があって。
日本は「人がいるところでは静かに」という文化が根強いですよね。でも僕の店では、お客さんにとにかく楽しく話してもらいたい。笑ってもらいたい。スタッフ同士も、僕は笑い話をしていていいと思うんですよ。やっぱりそのほうが、お客さんも楽しい気分になれると思うから。
独立して20年。現在は店舗経営という枠にとらわれず、自身が理想とするイタリアンをより多くの人に届けていきたいという気持ちが芽生えている。きっかけの一つは、ファミリーレストラン「ガスト」とのコラボメニュー開発や、スーパーマーケットで販売する冷凍ピッツァの監修を経験したことだった。
井上:ファミリーレストランのメニュー開発も、冷凍ピッツァの開発も、店で自分やスタッフの手で作って出す料理の開発とはやっぱり勝手が違うんですよ。全国の店舗でマニュアル化されたオペレーションを経て完成したその一枚、冷凍されたものを家に買って帰って焼き上がったその一枚が、ベストな美味しさになるように考えて作らなきゃならないですから。
それ自体は初めての経験でしたが、でも、いろいろな素材や調理方法を試しながら理想の味を追求するという点においては、店でずっとやってきたことと変わらなくて。挑戦してみたらすごく面白かったし、「こうすればできるんだ」ってノウハウも少しずつ貯まってきました。
これからもこうした監修の仕事が増えていけば嬉しいですが、やるからには「名前だけ貸す」みたいなことは面白くない。たくさんの人に買ってもらう、喜んでもらうというゴールに向かって、一緒に膝を突き合わせて取り組んでくれる、情熱あふれる会社さんとコラボできたら最高です。
こうした経験を経て井上の中に生まれた新たな夢。それが「シンプルで美味しい、体に良いイタリアンを提供するファミリーレストランを作って、自分の料理を日本中に届けたい」というものだ。

井上:最近は美味しいだけでなく、健康を意識した素材や調理法にこだわるレストランもどんどん増えています。でも、僕にも娘がいるんですが、子どもと一緒に入れる店だと、そういう「シンプルで美味しい料理を出す店」って、まだまだ少ないと感じます。
「子どもに受ける料理」というと、味つけが濃かったり、甘みが強かったりするものをつい想像してしまうと思いますが、イタリアンの基本に立ち返って、余計なものを入れず、肉の味、野菜の味をうまく引き出せば、子どもにも絶対に美味しく食べてもらえるんですよ。「食べること」は体を作る、生きるために必要な営みだから、子ども向けならなおさらシンプルさは大切にしたい。小さな頃に食べる味が、人の味覚に与える影響は大きいですから。
ファミリーレストランは生活のとても身近にあって、多少子どもが騒いでも受け入れてくれる懐の深さがあるし、だからこそ親も気兼ねなくくつろげる、他にない魅力を持った場所だと思います。
「ガスト」とのコラボや冷凍ピッツァの監修を通じて、大量生産の枠組みの中でも素材や味にこだわりながら、価格もある程度抑えるための方法が少しずつ見えてきました。これを上手く活かせば、これまで自分の店で目の前のお客さんに届けてきた理想の料理を、ファミリーレストランという形でもっと多くの方々に届けることができるのではないか。最近、そんな夢を抱くようになりました。
日本中のそこかしこで、たくさんの家族が井上の料理を囲んでワイワイと会話に花を咲かせ、笑顔になる。食べたものは子どもたちの生きるエネルギーとなり、その未来を明るく照らす——。大きな夢を抱く井上だが、その原動力は「一緒に働くスタッフたち」というとても身近なところにある。

井上:自分がコラボメニュー開発など、会社のブランドを育てる仕事に携われるのも、やっぱり店があってこそ。そして日々店を守ってくれているのは、スタッフのみんなです。それに、いつかは自分の体にも限界が来て、この会社を誰かにバトンタッチしなければならないときが来る。そうなったとき安心して引き継いでもらうためには、もう少し会社を大きくしたいなという思いもあります。
僕は10代の終わりに一度大きな病気をして、死をとても身近に感じたことがありました。だからこそ、「自分と関わってくれた人の中に良い形で残っていたい。井上勇と出会えてよかったと思ってもらいたい」って気持ちが強いのかもしれないです。
これもサルヴァトーレさんに教わった考え方なんですが、「スタッフは家族」だと。人数が増えるほど、家族みんなを養うのは大変だけど、だからこそ力を合わせて一つのことを成し遂げられたら嬉しいものですよね。
以前は年に一度、スタッフみんなでイタリア研修旅行に行っていて。コロナでストップしていましたが、そろそろ再開しようかと相談しています。スタッフにとって本場を知ることはとても良い経験になるし、お土産のワインを店で開けたりと、お客さんとのコミュニケーションのきっかけになることもあって、すごく良い先行投資だと思っているんですよ。僕の店は、スタッフとお客さんの垣根を越えて人と人がつながる、一つの「コミュニティ」でありたいと考えています。